100年以上の歴史をもつ乳がんのホルモン治療
乳がんはホルモン受容体とHER2受容体の有無により、4つのサブタイプにわかれます。4つのサブタイプのうち、ホルモン受容体陽性かつHER2陰性の乳がんには、ホルモン治療が有効です。今回は、乳がんの治療になくてはならないホルモン治療の歴史を紹介します。
乳がんのホルモン治療は羊の観察から始まった
1896年、イギリスの外科医であったBeatson医師が、卵巣を摘出することで乳がんが縮小することを報告しました。これが、乳がんに対する最初のホルモン治療と言われています。
Beatson医師は農場に住む患者を担当した時に、羊の乳汁分泌が月経開始後に減少することに気がつき、乳房と卵巣には何か関係があるのではないかと考えました。そして、ウサギを用いた実験を経て、33歳の乳がん患者に卵巣の摘出をおこないます。その結果、局所再発していた腫瘍の消失を認めたのです。
また、当時、身体の組織はすべて神経系でコントロールされていると考えられていました。しかし、Beatson博士は乳房と卵巣に神経による繋がりがないことに気がつきます。Beatson博士は、他のコントロール系があるはずだと考え、内分泌系の存在を疑い研究を続けました[1]。
初の内科的ホルモン治療薬はタモキシフェン
1960年代になり、アメリカのJensen博士らによって、ホルモン受容体のひとつであるエストロゲン受容体が発見されました。また、Jensen博士らはエストロゲン受容体の定量方法も開発しました。これにより、エストロゲン受容体陽性乳がんは、陰性乳がんと比べて予後がよいことがわかり、サブタイプ分類が始まったのです[2,3]。
さらに、1960年代にはHarper博士とWalpole博士らにより、抗エストロゲン薬であるタモキシフェンが開発されました。タモキシフェンは、エストロゲン受容体に結合し、エストロゲンとエストロゲン受容体の結合を阻害します。それまで、卵巣摘出などの外科的処置によりおこなわれてきたホルモン治療が、タモキシフェンの開発で内科的におこなえるようになったのです。その後、現在では「タモキシフェンの父」と呼ばれるアメリカのJordan医師らによって臨床試験が進められ、タモキシフェンは乳がんのホルモン治療になくてはならない存在となりました[3.4]。
Brodie夫妻が大きく関わったアロマターゼ阻害剤の開発
タモキシフェンの次に開発されたホルモン治療薬は、アロマターゼ阻害剤です。アロマターゼ阻害剤は、男性ホルモンのアンドロゲンをエストロゲンに転換する酵素であるアロマターゼを阻害する薬です[5]。
アロマターゼ阻害剤の開発に大きく貢献したのが、Angela Brodie博士です。1970年代には、エストロゲン合成は卵巣、副腎だけでなく、脂肪組織などでもおこなわれ、アロマターゼが関わっていることがわかりつつありました。このアロマターゼの研究をしていたのが、後にAngela博士の夫となるHarry Brodie博士です。
また、イギリス病院で働いていたAngela博士は、当時の根治的乳房切除術がいかに患者さんにとってトラウマ的になるかを目の当たりにします。そして、乳がんの治療法を改善しようと心に誓い、アメリカのHarry博士の研究室へ渡りました。
2人は、タモキシフェンのようにエストロゲン受容体を阻害するのではなく、徹底したエストロゲンの除去が必要であると考え、アロマターゼ阻害剤の開発を始めます。100以上のステロイドの構造を系統的に調べ、初のアロマターゼ阻害剤を生み出しました。2022年7月現在、アロマターゼ阻害剤は、閉経後乳がん患者を対象に広く使われています[5,6]。
エストロゲン受容体の分解を促進するSERD
1980〜90年代には、Wakeling博士とBowler博士らを中心にSERD(選択的エストロゲン受容体ダウンレギュレーター)の研究がすすみました。タモキシフェンは抗エストロゲン薬のひとつですが、臓器によりエストロゲン作用と抗エストロゲン作用を異なる程度で発現します。
たとえば、乳房では抗エストロゲン作用を示しますが、子宮内膜ではエストロゲン作用を示すのです。そのため、タモキシフェンの副作用のひとつに子宮内膜症があります。一方、SERDはエストロゲン受容体に結合しますが、タモキシフェンと異なりエストロゲン作用をもちません。また、SERDはエストロゲン受容体の分解作用をもつというユニークなホルモン治療薬です。2022年7月現在、転移再発乳癌で使用されています[7]。
研究がすすむホルモン治療薬と分子標的剤との併用
近年は、ホルモン治療の耐性機序の研究がすすんでいます。ホルモン治療耐性を打破するために期待されているのが、ホルモン治療と分子標的剤の併用療法です。代表的な耐性メカニズム経路であるPI3K/AKT/mTOR経路を阻害するmTOR阻害剤や、CDK4/6経路を阻害するCDK4/6阻害剤が適応を広げています[8]。
今後も乳がんのホルモン治療は進歩していくだろう
乳がんのホルモン治療は、1896年のBeatson医師の報告から始まり、進化をし続けてきました。Beatson医師が書いた論文の後半には、がんという問題を何とかして解決したいという思いが綴られています。そして、現在もがんを治したいと願う研究者や医療者により、新しいホルモン治療が研究されています。今後も乳がんのホルモン治療は進歩し続けていくでしょう。
執筆:Hidallas@乳腺科
[1]Beatson GT. On the Treatment of Inoperable Cases of Carcinoma of the Mamma: Suggestions for a New Method of Treatment, with Illustrative Cases. Trans Med Chir Soc Edinb.1896;15:153-179[2]O’Malley BW et al. Elwood V. Jensen (1920–2012): Father of the nuclear receptors. PNAS. 2013;110:3707-3708
[3]Jensen EV et al. Estrogen action: a historic perspective on the implications of considering alternative approaches. Physiol Behav. 2010;99:151-162
[4]Cole MP et al. A new anti-oestrogenic agent in late breast cancer. An early clinical appraisal of ICI46474. Br J Cancer.1971;25:270-275
[5]Santen et al. History of Aromatase: Saga of an Important Biological Mediator and Therapeutic Target. Endocrine Reviews.2009;30:343-375
[6]Abderrahman B et al. Angera M. Hartley Brodie (1934-2017). Nature.2017;548
[7]Osborne CK et al. Fulvestrant: an oestrogen receptor antagonist with a novel mechanism of action. BJC. 2004;90:S2-S6
[8]Nabieva N et al. Endocrine Treatment for Breast Cancer Patients Revisited—History, Standard of Care, and Possibilities of Improvement. Cancers. 2021;13,:5643