「希望のちから」映画になったHER2乳がんの治療薬ハーセプチン®を解説
乳がんの治療薬であるハーセプチン®は、アメリカのSlamon医師が自分の時間や家族を犠牲にしながらも研究や臨床試験に大きく携わり、世に送り出しました。多くの患者さんを救うことになった経緯は、「希望のちから」という映画になっています。この記事では、早期乳がんの症例をもとに、ハーセプチン®について解説します。
症例紹介
60代女性、乳がんに対して手術を実施。病理検査の結果、リンパ節転移を伴わないステージ2のHER2陽性乳がんと診断された。術後療法として、抗がん剤とハーセプチン®の投与をおこなう。
HER2陽性乳がんとは何か
HER2とは、ヒト上皮成長因子受容体2型の略で、細胞膜に存在するたんぱく質です。HER2同士、またはファミリーであるHER3、HER1、HER4と結合し、細胞の中にさまざまなシグナルを出すことで、細胞の増殖や分化、生存に関わっています[1]。
HER2は、正常細胞にも存在していますが、一部のがんで過剰に発現していることがわかりました。乳がんでは、患者さん全体の約20%に、HER2遺伝子の増幅やHER2たんぱくの過剰な発現が認められ、HER2陽性乳がんと呼んでいます[2]。
HER2陽性乳がんの予後を劇的に変えたハーセプチン®の開発
HER2乳がんは、HER2から細胞の増殖シグナルが余剰に出ているので、進行が早く、予後が悪いと報告されてきました[2]。しかし、ハーセプチン®(トラスツズマブ)が開発され、HER2乳がんの予後は、劇的に改善されました。70%台であった5年生存率は、現在、90%近くなっています。ハーセプチン®は、HER2に対する抗体です。HER2に結合し、HER2同士または他のファミリーとの結合を妨げるため、細胞内への増殖シグナルが阻害されます[2]。
ハーセプチン®は、まず、再発乳がんに対する治療として臨床試験がおこなわれました[2]。その後、早期乳がんに対する術後治療として、日本も参加した臨床試験であるHERA試験がおこなわれています[3]。HERA試験では、ハーセプチン®がHER2乳がんの再発を約半分も防ぐという結果でした[3]。発表されたときには、スタンディングオベーションが起こったそうです。
転移・再発乳がんと早期乳がんでのハーセプチン®の使い方
HER2陽性の転移・再発乳がんに対して、最初におこなう治療として、ハーセプチン®とパージェタ®、ドセタキセルの併用療法が勧められています[4]。また、HER2陽性の早期乳がんでは、術前または術後の化学療法として、抗がん剤にハーセプチン®を併用することが強く勧められています[4]。
投与方法は以下の2つです。
A法 | 初回投与時には4mg/kgを、2回目以降は2mg/kgを90分以上かけて1週間間隔で点滴静注する |
B法 | 初回投与時には8mg/kgを、2回目以降は6mg/kgを90分以上かけて3週間間隔で点滴静注する |
初回と2回目以降で、投与量が変わることがポイントです。より速やかに血中濃度を上げるために、初回は投与量が多くなっています。2回目以降の投与日が1週間を超えて遅れた場合は、改めて初回と同じ量を投与します。また、初回の投与が問題なくおこなえた場合は、2回目からの投与を30分に短縮することが可能です[4]。
心機能低下とインフュージョンリアクションに注意しよう
心障害は、ハーセプチン®を投与するときに注意が必要な副作用です。心障害の頻度は、併用する抗がん剤により異なってきますが、添付文書では4.5%と記載されています。心障害の発生は、投与初期に多い傾向です。しかし、1年以上の投与でも発生することがあります[4]。イシヤクにも記載されていますが、ハーセプチン®の投与を始める前と投与中は、心機能を確認することが必要です。
インフュージョンリアクションにも注意しましょう。インフュージョンリアクションは、分子標的剤の投与時に見られる反応で、次のような症状があります。
・発熱
・悪寒
・頭痛
・発疹
・嘔吐
・呼吸困難
・血圧低下 など
投与を開始してから24時間以内に生じることが多く、また、初回の投与時のみに生じることが多いとされています。投与中に生じた場合は、ただちに投与を中止し、解熱鎮痛剤や抗ヒスタミン剤の投与をおこないます。症状によって、酸素、β-アゴニスト、副腎皮質ホルモンの投与が必要です。重篤ではない場合、症状が消失した後に点滴速度を落として再投与が可能です[4]。
次々と登場する新しい抗HER2薬
ハーセプチン®と同じく、HER2を標的とする抗HER2薬が次々と開発されています。
パージェタ®(ペルツズマブ)は、ハーセプチン®と同じくHER2に結合する抗体です。ハーセプチン®とは異なる部位に結合し、HER2とHER3の結合をより阻害するといわれています[5]。
カドサイラ®(トラスツズマブエムタンシン)やエンハーツ®(トラスツヅマブデルクスカン)は、ハーセプチン®に抗がん剤がついた抗体薬物複合体です[6][7]。ハーセプチン®により、抗がん剤がHER2陽性の乳がん細胞に選択的に運ばれ、抗腫瘍効果を発揮します。
ハーセプチン®の発売から約20年が経ちますが、HER2陽性乳がんの治療は進歩を続けています。
ハーセプチンの作用機序と副作用を理解して適切に使おう
ハーセプチンは、HER2陽性乳がんの治療に幕開けをもたらしました。そして、現在もHER2陽性乳がんに対する治療の軸となっています。一般的に、抗がん剤と比較すると、患者さんの身体的な負担は少ない薬です。しかし処方する場合は、心障害やインフュージョンリアクションなど重篤な副作用も起こりうることを忘れないようにしましょう。
執筆:Hidallas@乳腺科
参照:
[1]Reese DM et al. HER-2/neu Signal Transduction in Human Breast and Ovarian Cancer. Stem Cells. 1997, 15(1), 1-8.
[2]Slamon DJ et al. USE OF CHEMOTHERAPY PLUS A MONOCLONAL ANTIBODY AGAINST HER2 FOR METASTATIC BREAST CANCER THAT OVEREXPRESSES HER2. N Engl J Med. Oooooo, 344(11), 783-92.
[3]Piccart-Gebhart MJ et al. Trastuzumab after adjuvant chemotherapy in HER2-positive breast cancer. N Engl J Med. 2005, 353(16), 1659-72.
[4]ハーセプチン適正使用ガイドhttps://chugai-pharm.jp/content/dam/chugai/product/her/inj/guide-bt/doc/her_guide_bt.pdf(参照2022-2-10)
[5]Baselga J et al. Pertuzumab plus Trastuzumab plus Docetaxel for Metastatic Breast Cancer. N Engl J Med. 2012, 366(2), 109-19.
[6]Verma S et al. Trastuzumab emtansine for HER2-positive advanced breast cancer. N Engl J Med. 2012, 367(19), 1783-91.
[7]Modi S et al. Trastuzumab Deruxtecan in Previously Treated HER2-Positive Breast Cancer. N Engl J Med. 2020, 382, 610-21.